2012年04月07日

いざという時に

東北大震災の後も、関東・南海大震災の発生が予測されているが、
そのような震災が発生した時に被災地にいち早く必要となるのが
ボランティアサポートセンターであり、
そこに居るコーディネーターやファシリテーターの存在である。

それは、私が新潟の中越地震や三条の水害の時に現地で実感したことであり、
行政の対応は非常に遅く、不手際であり、
その時活躍したのは民間のまちづくりコーディネーターの人たちなのであった。

また、その人たちは復旧後も現地にとどまり、
復興支援の原動力となったのであった。
それを見ていて三年前から新潟市の点塾でファシリテーター養成講座を始めたのだが、
今年も開催する予定でいるので、
一人でも多くの人に受講していざという時に備えて欲しいと願っているのである。
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2012年04月06日

「世界一幸せな国 ブータン」

NHKで「世界一幸せな国ブータン」というテーマで
ブータンを取り上げた特集番組をやっていたが、
その実態は、便利さと効率を追求してきた現代文明とは対極にある
手づくりと助け合いのおだやかで人と人とのつながりのある心が豊かになるものであった。
生活が便利になる電気を引くことより渡り鳥の鶴が電線に引っかかることに気を使い、
野菜や家畜を育てるのも人間中心の考え方ではなく、
自然に従い、すべての生き物が共に生きること喜びを見い出すような
価値観と生き方を実現していたのであった。

これを見ていて、
ブータンこそ世界の先進国だと思ったものであった。
また、国家だけでなく、企業や地方自治体や地域づくりなどでも学ぶべき点は多く、
これからの時代のモデルであり希望であると強く感じたのであった。
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2012年03月29日

本のご紹介

私は四月に二冊の本を出版することになりました。

一冊は「経営つれづれ草」というタイトルで
経営と仕事と営業の思想と実践について三章にまとめた本です。
私が経営を実践してきて効果や成果があったことをまとめた実践的な書ですので
面白い本になったと思っております。

もう一冊は「ファシリテーション」という雑誌です。
和の人間関係や場をつくるファシリテーターの心得や手法について連載する予定の雑誌で、
点塾で開いている日本型ファシリテーター養成講座と両輪で
ファシリテーション文化を日本に広げたいと考えて出版するものです。
ご興味のある方はえにし屋までお問合せください。


【お問合せ】
えにし屋
電話:025-284-8701
FAX:025-284-8733
E-mailからのお問合せはこちらクリックしてください
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2011年11月14日

未来デザイン講座

11月4、5日と点塾で未来デザイン講座を開催した。
参加者は新潟を中心に全国から15名。
それぞれ、新事業を起こそうとしている人やまちづくりをしている人、
新しい仕事づくりをしている人などで、
未来デザイン講座がタイムリーな時期だったようで大変な盛りあがりだった。
終わってみると、「これで創業ができる!」とか、
「目の前が開けた!」という声が聞かれ、
参加者の満足度が高かったことがうかがえたのだった。

また、「未来デザインをしったことでファシリテーターの役割の全体像が明確になった。」
という人もいて、未来デザインはファシリテーターにとって欠かせない技術であることを
あらためて感じた二日間でもあった。
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2011年03月07日

大病人時代

私はいわゆる団塊の世代の一人であるが、五年前に脳卒中で倒れた。
その後、私の友人たちはガンになったり、
脳卒中で倒れたり心筋梗塞で亡くなったりと多くの友が病に倒れた。
企業戦士として無理に無理を重ねてきたツケがまわってくる時期が来たのだろう。

しかし、これはまだ序の口で、
これからこの世代がより高齢化する数年後になると、
大病人時代というような大変な時代になるのではなかろうか。
そうなると、医療制度も福祉も整備されていないこの国はどうなってしまうのだろうか。
おそらく想像もつかないほどの混乱が待っているようで今から不安なのである。
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自由と自立

私は車イス生活であるが、このところ自分で車イスを漕ぐようにしている。
すると、思った以上に行動の自由度が高まるのだった。

たとえば、ディサービスでご飯を食べた後、
今まではスタッフの人に声をかけてトイレに連れて行ってもらっていたのが、
車イスを自分で漕ぎ始めると、
それをスタッフが見止めて声を掛けてくれて手を貸してくれるのだ。
つまり、待ちの姿勢から始めの一歩を
自分で歩み出す自立の姿勢へ転換できたということなのだろう。
自分で歩くことができなければ自由と自立は手に入らないと思っていたが、
車イスを自分で動かすという些細なことを始めただけでも
予想以上の自由と自立が手に入ったという気分になったのであった。
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2011年02月10日

えにし屋経営塾開催にあたって

えにし屋はこれまで三十数年にわたって
全国各地でさまざまな経営塾を開催してきましたが、
幸いにして名古屋・岐阜・富山・会津・福島・札幌・沖縄などで
先進的な地域事業家や社会事業家を育て、
一部には地域の起業センター的な役割を担う所も出てきました。

ところが、足元の新潟においてはそのような動きが起きておらず、
この度各地の成功例に学び交流しながら
新潟においてもこれからの時代を担う事業家が育つことを願って
あらためて経営塾を開催するものです。

とくに、これから経営を担う若手経営者のご参加を期待しています。

※詳細につきましては後日ブログでお知らせ致します
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2011年01月31日

介護とは究極のサービス業である

介護という仕事は知れば知るほど高度で
キリのないほど奥の深い未開拓分野の仕事である。

身体的・心理的な介護はもちろん、
本人を含めた家族の生活自主のサポート、
これらの仕事は利用者の人生を丸ごと受け止め、
同じ目線に立って共に歩いて行こうとする
全人的な能力を要求される尊い仕事なのである。

ところが、一般的には介護は
老人や病人の身体的なお世話をする単純な労働と見られているようだ。
そこに介護する側とされる側の不幸があるのである。
介護する側はいつまでも仕事の価値が認められず給料が低いままであるし、
介護を受ける側は世話になるばかりでつねに遠慮し気兼ねをしており、
自分を存在価値のない厄介者と思いながら生きなければならないのである。

このような両者の不幸も、
「介護は究極のサービス業である」という認識が社会に広まれば
少しは解消するのではないかと思い、
このような文章を書いているのであるがどのようなものであろうか。
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2010年12月29日

住めば都

病院に2週間検査入院した。
普段の生活リズムとまったく異なり、
不自由で窮屈な病院の生活は辛く苦しいものであり、
一刻も早く逃げ出したい気分であった。

しかし、退院する頃になると、
看護師さんや介護士さん・リハビリの先生などとの豊かな人間関係ができ、
自分なりの生活リズムも身についてきて
退院するのが名残惜しいような気分になっていたのが
自分でも驚きでありおかしくもあった。

住めば都というのはこういうことを言うのだろうか。
人は人間関係があるかないかで
その場に愛着を感じなかったり感じたりするのだろう。

地域でも職場でも支えは人間関係だと再認識した入院体験であった。
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2010年07月28日

介護をする人 介護をされる人

私は脳内出血で倒れて四年になる。
今はその後遺症で半身マヒで車イス生活である。
大変不自由な生活であるが、雨の日も雪の日も妻が車イスを押してくれ、
私を介護してくれたおかげで仕事にも復帰でき、
妻には言葉には言い表わせないほどの感謝をしている。

しかし、朝から晩まで私の介護で心身をすり減らして
疲れていく妻を見ているのは大変辛いものである。
もしそれで彼女が病気にでもなったとしたらと思うとその辛さは一層大きくなり、
不安にもなるのである。

したがってつねに妻に気を使って生活するようになる。
彼女の心を沈ませないようにと言葉使いや用事の頼み方などに気を使うのである。
そうしてみると、介護をする人の辛さについては誰もが容易に想像がつくと思うが、
介護をされる人の辛さについてはその立場になってみないと分かるものではないと思うのだが
介護に携わっている人たちはそういうことについて想像してみることがあるのだろうか。
posted by enishiya at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 義晴日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする